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小室哲哉が日本音楽界における革命児たる所以。マジで天才なんですwww

   

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90年代、音楽が娯楽の全てだった…と言っても過言ではないよね?

ミリオンセラーを連発し、CDというメディアの市場が相当大きなものになったのは恐らく90年代ではないでしょうか。

70、80年代はフォークソングとアイドルがひしめき合って、海外から輸入してきた音楽を日本流にアレンジしていく時代でした。

その中でも今の音楽業界に多大な影響を与えているのが「はっぴぃえんど」です。

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当時のメンバー全員が日本の音楽業界において重要な立ち位置にいます。

洋楽に憧れ「日本語ロック」を作り出した彼らの功績はかなり大きなものだと思っています。


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90年代を紐解いていく

演歌、歌謡曲からロックテイストへと日本の音楽市場はシフトしていきます。

90年代始め、まず天下をとったのはBeingグループでした。ZARDを筆頭にヒット曲を連発。

トップ10の全てをBeingが独占したこともあり、その勢いはすさまじかったです。

ZARDやDEENといったグループが人気となりますが、彼らの音楽をよく聞いてみると非常に都会的でオシャレなサウンドなのが分かります。

はっぴぃえんどはいつの間にか「シティロック」と呼ばれるようになっていましたが、まさに彼らのマインドを受け継ぎビジネスミュージックとして昇華させたのがBeingでした。

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日本中の誰もが知ってる「踊るポンポコリン」もBeing発なのです。

ヒット曲の多くの作曲を織田哲郎が手掛けていますが、プロデューサーというわけではありません。

織田哲郎が作った断片的なメロディーをアレンジャーがつなぎ合わせ、歌い手が歌詞を付けて歌うというのが基本フォーマットです。

親しみやすい歌謡曲的なメロディーをシティサウンドに乗せ、爽快なロックサウンドをお茶の間に広げたのは間違いなくBeingでした。

 

そして革命は起きる

日本の代表的な音楽レーベルのひとつとしてavexが挙げられます。

この会社は、ユーロビートやハウスなど、日本ではまだ馴染みの少なかったダンスミュージックを輸入するところから始まります。

創始者のひとりが小室哲哉と出会った事で、革命は始まったのです。

 

先に挙げたBeingの基本はロックサウンド。いわゆる8ビートが主流でした。

中にはファンクのテイストを盛り込んだ16ビートサウンドもありますが、あくまでロックの範疇でした。

 

小室哲哉が作り上げた楽曲がその当時の人に斬新に聞こえたのは、リズムがいわゆる「4つ打ち」というもので作られていたからです。

この4つ打ちは人間の心臓の鼓動に似ており、テンポが早いと気分は高揚し、ゆっくりになればリラックスします。

ダンスミュージックにおける独特のリズムパターンである4つ打ちと歌謡的なメロディーを複合させることにより生まれたのが小室サウンドだったのです。

今まで感じたことのない高揚感に人々は飛びつきました。

 

TRFの「EZ DO DANCE」は歴史に名を刻む1曲となりました。

その後の快進撃は誰もが知るところですが、アーティストごとにカラーを変え、小室サウンドを維持しながらも一組のアーティストとして成長させていくその手腕は素晴らしいものがありました。

 

「プロデュース」という言葉を一般的にしたのも彼でした。

彼の名を有名にした「TM NETWORK」ではボーカルレコーディングの時に非常に苦労したことから、それ以降は自分で歌唱指導を行うことにしたそうです。

 

この間、TRFのSAMがテレビに出た時に「モチベーションという言葉を日本で歌い続けてきてくれた」と小室哲哉から言われたと語っていました。

歌詞を書いたのはもちろん小室哲哉です。

その後「モチベーション」という言葉は日常的に使われるようになります。

小室哲哉の先見の目は非常に鋭いのです。

「モチベーション」という言葉が定着するという確信が彼の中にはあり、その当時最も影響力のあったアーティストに歌わせることで社会をもプロデュースさせてみせました。

 

彼がプロデュースするアーティストが続々とヒット曲を出す中、ダウンタウンの浜ちゃんが「曲作ってよ」と持ち掛けます。

その時に「200万枚売れる曲を作る」と宣言したのですが、「WOW WAR TONIGHT」は見事に230万枚を超えるビッグセールスになりました。

その後globeがアルバムを出す時には「このアルバムは400万枚売れますよ」と音楽番組で話していましたが、こちらも宣言通り400万枚を超えるセールスを記録しました。

その時の彼にはどのように市場が動くか全て見えていたのだと思います。

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常に最先端であり続ける

計算され尽されているように聞こえる彼のサウンドですが、シンセサイザーの音はその時に「いい!」と思ったものを使っていたそうで、綿密にシンセサイズされたものではなかったそうです。

シンセのツマミを回して「これいいね」と思ったら使う。意外と直感的な曲の作り方をしているのです。

これは計算高いだけでなく、小室哲哉の音楽的センスがズバ抜けている証明になっていますね。

 

ダンスビートとロックテイストを融合し、ボーカル、ラッパー、プロデューサーと異色の組み合わせのユニットであるglobeはその後トランスへと傾倒していきますが、当時の日本ではまだ馴染みがなく、日本の第一線で活躍するアーティストが取り入れるタイミングとしては異常と言ってもいい早さでした。

 

トラブルに巻き込まれ、ロックスターも真っ青の破天荒振りを発揮した小室哲哉ですが、最近では本業である音楽に腰を落ち着け、サービス精神旺盛にテレビにも出演しますし、様々なアーティストに楽曲を提供し続け、ライブ活動をしています。

 

彼がいなければ、日本の音楽は未だかなりレベルの低いものになっていたことでしょう。

確かな先見の目を持ち、抜群のセンスに恵まれた彼が90年代の音楽シーンをプロデュースし、今なお続く道筋を作り出したのです。

 

私はダンスミュージックはそれほど聞きませんが、彼のことは非常に尊敬しています。

 

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