階段を飛び越えてゆく人って、結局人の話を素直に聞ける人なんだよな
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天邪鬼は損をする
私は昔から非常に我が強く、自分主体に物事を考えるクセがありました。
心に響かなければやらないし、心が動けば没頭するという極端な人生を送ってきました。
しかし年齢を重ねるに連れ友人は減っていき、活動範囲は狭まり、知識も技術も偏りました。
昔、共に夢を志し戦った仲間たちも家族を作ったり、会社を作ったりと、それぞれの道を歩んでいます。
「パニック症」という壁もあるにはありました。
物心ついた時から自律神経失調症に悩まされ、いつも肝心な所で立ち止まらざるを得なかったので、多々チャンスを逃してきてしまったと思います。
私がもう少し、人の話を素直に聞ける人間だったなら、人生は変わっていたでしょうか。
踏み台にして、乗り越えていった人
とにかくまっすぐにしか物事を見なかったので、冗談も通じず、よく遊ばれてました。
その時は気づいてなかったのですが、まっすぐ進むことがカッコいいとなんとなく思いこんでいたのです。
そして周りのみんなは私一人を置いて、どんどん先へ進んでいきました。
ほんの少しの失敗から私の足元は崩れ、ほとんどの物を失ったしまったのです。
あの時きちんと自分の気持ちを表現できていたのなら、もっと冷静に物事を判断できていたのなら。
願いは叶わなくても、今こんなに後悔することもなかったのかもしれません。
自律神経失調症はパニック症へと姿を変え、やがてうつへと進んでいきました。
権利は平等だが、資格は平等ではない
よく「みんな一緒だから」と言う言葉を投げかけれらます。
それは大きな間違いです。
生まれながらにして人間として生きる権利を与えられていても、幸せになれる資格を持つ人は限られます。
幸せの定義にもよるとは思いますが、私は全てを失わなければ気づくことができませんでした。
人の倍頑張らなければ、人並みになれなかった私は、人の倍の時間をかけて、ようやく自分に必要なものを確認することができました。
しかし、私は人の倍は生きられません。
もしも感情的になったり、天邪鬼な態度を取ってしまうのがクセだと自覚のある人がいたのなら、一度冷静に考え直す時間を作ってほしいと思います。
何かしらのハンデを背負っていても、人と同じことを求められた今までの人生は、苦しいことも多かったです。
しかし、同時に得るものも多かった気がします。
私はそれに気づけませんでした。
私は、これから幸せになるために最大限の努力をしていきたいと思いますし、それがひとつひとつ小さなものではありますが、実現に向かって積み重なってきています。
私と同じように、何かに苦しんでいる人がいたのならば、私はその人の助けになりたい。
褒められたいわけでも、感謝されたいわけでもありません。
陰口を叩かれていたって構いません。
苦しい時間を生き抜いてきたからこそ、似た立場にいる人の気持ちが理解できることがあります。
その逆はあり得ないことです。
私たちが抱えているものは、実際に体験しないと理解するのは極めて難しいことだと思います。
もしかしたら私が今まで出会いに恵まれなかっただけかもしれませんが、理解を示してくれる人はほとんどいないと言っていいと思います。
それも私が、自分の気持ちを正しく伝えることができなかっただけなのですが…。
トラブルを起こしやすい人は、一度持ち帰り、納得のいくまで考え抜くのが得策かと思います。
時間は有限ですが、そんなに少ないわけじゃありません。
むしろそれくらいの時間は糧になります。
私はこの人生を色のある世界に変えていくと決めました。
迷わず生きていく為に、まずは深呼吸をし、よく考えること。
慌てなくても、大事なものはそんなに簡単になくなったりはしないのですよ。
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